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『SO WHAT ?!』 another story

2018 SW Peace & Bluce

2019/1/ by N.river
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「はいはい、買ってきましたよ」
「イエスッ」
 ストラヴィンスキーがオペレーションルームへ飛び込めば、ハナは椅子ごと振り返る。 
 本来そこはカウンターテロチーム、通称CCT専属のオペレーターの特等席だが、クリスマスに年末年始という気の抜けない時期に挟まれた今日である。準じてプライベートもまた多忙な時期であったなら、有給消化は今日しかないと休みを申請したオペレーターたちに今年もまた、最大限譲った結果がこの組み合わせシフトとなっていた。
「もうこっちで食べちゃわない?」
 二千十八年、十二月二十八日、二十三時四十七分。
 地上は師走を味わうに十分な寒風が吹きすさみ、しかしながら人気の失せた地下のオフィスは異次元。色味はおろか空調も完璧と季節感の欠片もなく広がる夜更け。
「またハナさんはそんなことを言う。そっちは飲食厳禁じゃないですか」
 マフラーを解いたストラヴィンスキーはダッフルコートの前も開き、片隅に据え置かれた丸テーブルへ向かった。重みを感じさせるレジ袋を、言ってよっこいせ、と乗せる。
「こぼして電子機器に何かあったらどうするんですか。それに」
 今さらの忠告もどうだろうか。
 天井を指さした。
「映ってますよ」
 監視カメラだ。
 万が一に備えて仮眠室と手洗い以外は、いまだ二十四時間体制での録画が続けられている。
「そんなの何も起きないんだから、誰も見ないに決まってるわよ。それにあたし、お行儀はいい方よ」
「まぁ、それはそうなんですけど」
 確かにナイロンデッカードことノルウェイノワールを確保して以来、オフィスの主たる業務は SO WHAT 予備軍の発見と監視となっていた。おかげでかつての激務と比べれば日々は開店休業に等しい有様で、言うまでもなく休業であればあるほどオフィスの存在意義は証明される構図なのだから、全うすればするほどハナの言うことは正しいだろう。だが、だからといってどんな些細な規則だろうと破っていいほど緩んでいいはずがない。
「仕方ないわねぇ」
 諦めたハナの口から大きく息が吐き出される。これでもかとつけた反動で、埋もれていた椅子から抜け出した。
「ていうかぼく、いつからハナさんのパシリになったんですか?」
 レジ袋の中身はまだ辛うじて暖かかい様子だ。触れて確かめストラヴィンスキーは、すかさず椅子の背を押して歩み寄ってくるハナへ口を尖らせる。マフラーと脱いだダッフルコートを邪魔にならない場所へと片付けた。
「なんていうのかしら。雰囲気が弟と似てるせいね」
「いやそもそも弟はパシリじゃないと思いますけれど」
「あら、うちだけだったのかしら」
「弟さんの心中、心よりお察し申し上げます」
 あいだにもハナは丸テーブルの前へ椅子を据え直すずっしりとしたレジ袋を見つめて前のめりと腰掛けていった。
「とにかく期待してるわよ。内容によっては年明けの泊勤務、一日交代してあげるわ」
 今日一番に瞳を輝かせる。
「あ、その約束、忘れないで下さいよ」
「なに? そっちこそ条件、覚えてなさいよ」
 提案には念押しせずにおれず、返されてストラヴィンスキーは上等です、と軽く何度もうなずき返した。
 ままにレジ袋へ手を入れる。どうやら出来る限り冷めないよう気をつかってくれたらしい。紙袋は二重になっていた。こもる蒸気に気持ち、丸く膨れた紙袋の丸められた口を解いていてゆく。やがてもわん、と温もりは鼻先まで匂いを運び、これまた断熱材代わりか、いつもより多めに詰められた紙ナプキンを見つける。かき分けたところでようやく見つけた蓋付の紙コップを、ストラヴィンスキーは丁寧に取り出していった。
「ハナさんはミルクのみでしたよね」
 前へ滑らせ、ソフトボールくらいはあるだろう丸々とした包み紙もまた並べ置く。眺めていたハナはそこで、完全に固まってしまったようだった。
「……これ、もしかして」
 経たそれが最初の動きだ。
「ハン、バーガー?」
 いや、疑うまでもなく漂う匂いがすでにそうだと言っている。
「はい。それもご期待に沿える歳末外田スペシャルです」
 ストラヴィンスキーは「ニ」と唇の端を伸ばし、おっつけ自分の分も取り出すした。大量の紙ナプキンを手にしたところで気づいてハナへ振り返る。
「あれ、どうしました?」
 言わずにおれない。なにしろそこにはぴしゃり、己が額を叩いて伸びるハナがいた。
「どうしましたか……って、あなた。あたしたちクリスマスもお正月もないからせめて今日くらいはそんな気分で、って話したわよね」
 訴えると、額にあった手をこれでもか、と天へ向け広げてみせる。
「浮かれた世間の足元で文字とおり、支えて地味ぃに頑張っているあたしたちも、年末年始気分くらい味わってもいいはずよね、って言ったはずよ。ええ、クリスマスにお正月。お正月にクリスマスよ!」
 などと単語を入れ替えてまで連呼した意味は謎でしかない。だがさすがに十一時ともなればオフィスの食堂は営業時間外で、出前は場所が場所だけに頼めやしないときていた。だからしてずいぶと遅い夕食として、どちらが何を買いに行くかは重要案件で、話すうちにそんな具合に盛り上がっていったことには間違いがない。
「なのにハンバーガーって……」
 あげたひと声がオペレーションルームへ響いて消え入る。果てに振り上げられていた手は力なく投げ出された。
「……ハンバーガー、って」
「いや、そこまで」
 ショックなことなのか。なら果たして如何なる一品を期待していたのか。そもそもこの時間である。おせちに豪華な洋食など望んだところで、おいているような店こそ開いているはずがなかった。だのにそれら現実を踏み倒してまで膨らんだ妄想があるとするなら全てはフラストレーションのせいで、眼鏡のブリッジを押し上げるついでだ。ストラヴィンスキーはやれやれ、と額を掻く。
「現場での先入観は禁物だ、って習いませんでしたか? とにかく苦情は事実関係の確認後、食べてからで」
「ええ、まさにここは現場ね」
 これは事件よ。
 気構えで、ハナが投げ出していた手を伸ばした。紙ナプキンをつまみ上げる。仕方なさげがいただけない。ちまちまとテーブルへ広げだした。見ておれずストラヴィンスキーは再びレジ袋の中へ手を入れる。
「ほらほら、まだありますよ」
 景気づけと原色の箱もまた勧めた。
「こっちがオススメのコンソメシーズニングのざく切りポテトフライ。ここのコンソメ、なめないで下さい。で、あ、まだあったかいじゃないですか」
 大事そうに紙袋の底からまた別のものも取り出す。
「こっちが本日の目玉。レフがいたら泣いて喜ぶ新商品。ロシア名物ブリンチュキです。いやぁ、まさかのラインナップでした」
「なにそれ? ブリトーじゃないの?」
 問われるほどにこのブリンチュキ、薄焼きの生地で具を巻き込んでいるあたり外見はメキシコ料理のブリトーにほどなく似ていた。だがトウモロコシが原料のそれとは違って生地の原料は小麦粉らしく、包み込む具はスパイシーな味付けの惣菜のみにあらず。サワークリームにジャムやバターなどなど、スイーツ感覚でも楽しめる一品だ。
 説明すればへえ、とうなずくハナは納得したというより興味を失くしたらしい。その対象を会話の最初まで遡る。 
「まっさか」
 眉を跳ね上げた。
「泣いて喜んだりしないわよ。トイレとか布団の中で泣いちゃうタイプに決まってるじゃない。人に見られたらこの世の終わりくらいに思ってるわよ、あの人」
 そうして検分でもするように、差し出されたばかりのポテトの箱を覗き込む。形が崩れぬように一本、慎重に引き抜いてみせた。
「可哀想な人」
 吐いた口へと運ぶ。
 すぐさま驚くような表情を作った。
 まるで七面相だ。
 それも続かずたちまちしぼませる。
「でも考えてみたらその可哀想な人は、今ごろウチで美人の奥さんとまったりしてるのよねぇ」
 つくづく嘆いた。
「ええ、まだ新婚さんですから」
 その通りと問題児で無愛想がトレードマークだったレフ・アーベンも、あろうことか結婚生活、丸二年目だ。
「ああ見えてハートも案外、子供好きですし。皆さん、ちゃんと休みは取ってもらわないと家庭崩壊されちゃ大変です」
 なるべく気持ちよく食べたい。カラになったレジ袋を足元へ落としてストラヴィンスキーも、椅子を引き寄せる。
「ホント、今頃サンタさん、道に迷って遅れた、遅れた、なんてあのチビッ子たち相手にやってそうだわ」
 想像すればハナの視線はは宙へ飛び、あべこべと目の前に並んだ品々へ、さあ、とストラヴィンスキーは手を擦り合せた。
「そうよ」
 と、唐突にハナは断言する。
 突然「かーっ」と唸ってうなだれてみせた。
「可哀想なのはこんな所にいて差し支えない私たちの方じゃない」
「わー、それ、ついに言っちゃいましたね」
 苦笑いするストラヴィンスキーが紙コップのフタを開けたなら、ほどなくチェーン店のものとは思えない華やかな香りがオペレーションルームを彩っていった。まずは思いきり吸い込んでからだ。琥珀色した液体の上澄みを、ひとまずストラヴィンスキーはすすり上げる。
「乙部さんも内縁の奥さんがいるって小耳に」
「ウソ」
 舌鼓を打つついでにとっておきの小ネタもまた披露した。
「チーフも家族サービスとかするんでしょうかねぇ」
 あちらもこちらも賑やかそうでなにより、としか言いようがない。
「やめて。どんどん気分が滅入ってきたわ」
「はいはい。じゃあつまらない話はここまで。現実に打ち勝つためですよ。食べちゃいましょう」
 促されてそうっだった、とうつろな目をテーブルへ向けるハナは思考も朦朧としている様子だ。
「なんだったかしら、これ。歳末、スペシャル?」
「ええ、歳末外田スペシャルです」
「この、一体どこが?」
 確かにハンバーガーと思しき包みは普通サイズより一回り大きい。だがそれが煽り文句にかなうかといえば、そこまでピンとはこなかった。なら今年を締めくくるにふさわしい勢いだ。姿勢を正したストラヴィンスキーは眼鏡の前にひとさし指をビシリと立てた。
「よくぞ聞いてくださいました。このハンバーガー。実はメニューに載っていない裏メニューハンバーガーなんです」
 「は?」とハナの首が突き出そうが、その指で得意げにブリッジもまたくいと押し上げる。
「実はここの朝マフィンが美味しくてずっと通っているんですけれど、おかげで店員さんがいろいろ親切にしてくれるようになりまして。まぁ、ぼくの方は朝マフィンのチェダーチーズトリプルで、ハナさんの方はテリヤキビーフアンドチキンフィレオというワガママチョイスをお願いしてきました」
「わお」
 23時で朝マフィンもさることながら、いつもどちらかで悩むテリヤキとチキンフィレオだ。きっちり好物を把握しているストラヴィンスキーにハナは素直に感心する。
「こっそり都合してもらったんですから、冷ますとバチが当りますよ」
 促し自身が先陣を切り、鼻歌混じりで包を解き始めた。確かに、と思えばハナも追随するほかない。ずっしり重い包の中にはテリヤキビーフパテとチキンフィレオが入っているせいだろう。崩さず解くのは至難の業で、座りのいい場所を探したうえでくしゃくしゃと折り込まれた紙の端をつまみ出すことに手間取る。
「で、あなたはどうなのよ」
 つないでハナが切り出していた。
「抜け駆け禁止の同盟、組んだことを忘れてないわよね。ここぞでその変装眼鏡、取ったりしたら反則よ。この隠れイケメン」
 なるほどそうきたか、とストラヴィンスキーもまたボリューミーなチーズがはみ出でないよう細心の注意を払いつつ包を開くが、動揺できるだけの根拠こそありはしなかった。むしろ言われように目尻を上げる。
「ああ、ハナさん、それは取り下げてください。これ、ダテじゃないですから。だいたいこの業界で眼鏡なんて、フレームは邪魔で視界は狭いですし、気温差にも不利なうえに失くしたら見えなくなるってもう、何のメリットもないお荷物なんですから。まあ両眼、2.0のハナさんには想像できない世界でしょうけど」
 口調にハナも気づいた様子だ。
「ごめん。それ知ってた。言い過ぎたわ。謝る。事故ったせいだって」
 そう、あれはまだ刑事課にいた頃の頃だ。規定通り周囲の安全を確保しつつ犯人を追跡していたはずも、ひょいと飛び出してきたスクーターを避けてブロック塀に激突。勢いはボンネットを潰し塀を崩すほどで、衝撃でエアバッグは満開になったもののどこをどう打ったのか記憶は飛ばず、なぜか視力だけが吹き飛んでしまったのだった。
 目が覚めて知った時、驚きを越えてパニックとなったことが忘れられない。原因を探って精密検査を繰り返したがてんで分からず、原因がわからないのだから治療方法も定まらない。それきりだ。結局、視力は戻らなくなっていた。
 今も視力は、この状態で警察官の採用試験を受けていたなら身体検査で落とされるだろうレベルで、事故後、配置変えとなったのもそのせいだと考えている。引き起こした事故が原因ではない、と。
 ここへの引き抜きの話が来たのはその後のことだ。ゴリ押しで希望し受けたネゴシエイターの研修が終了した直後のことで、タイミングからてっきりその知識が見込まれてのことだと思っていたが実際はまるで出番がないのだから大笑いするしかない。
 ただ騒々しい日々に毎日は以前へ戻ったようだった。漠然とした不安は消え、視力のせいでひたすらデスクワーク、情報分析と引きこもるしかないと思っていただけに、どんな現場だろうと再びの配属にラッキーだとすら感じている。でなければ窓際。なんだかんだでおそらく今頃、退職に追いやられているとしか思えなかった。
 人生は不思議だ。
 物語なら繋がりそうもない出来事を、こうも容易くまとめ上げてしまう。その中をぼくたちは平然と生きてしまう。
 きっと誰だってそうなのだろう。
 ここにいる者たちはとくに。
「ん?」
 ハナが素っ頓狂な声を上げている。
「ストラヴィンスキー、コッチがマフィンぽいわよ」
「え?」
 確かめるべくその手元で一気に包みは広げられると、ガサゴソ音を立てていた。果てにハナは現れたマフィンではなく、別のところへ目を細めてゆく。
「……おそ、く、まで、お疲れさま、です。お仕事、がん、ばってください、ね。まほ。……ハート」
 包の端に書き込まれていた文字を、記号も含め読み上げた。
 のちの沈黙には、何かしらが押し上がってくるようなうねりがある。
 ままにハナの目玉はストラヴィンスキーへと裏返っていった。
「どういう、ことかしら?」
「おっ、お、や?」
 ストラヴィンスキーの喉も詰まる。
 ほどに事態は藪蛇。出てきた蛇に睨まれて、目だけでひたすらストラヴィンスキーは訴え返す。
 だが向かって下したハナの判決はこうだった。
「それ、ダテ眼鏡に決定ね」
「ちょ、こんなのただのお愛想じゃないですか」
「勤務中にいちゃつきに行ってるんじゃないわよ」
 そんなハナの手がずい、とストラヴィンスキーの前へ伸びる。
「取り替えて。そっちがテリヤキチキンでしょ」
 ぶんどられ、メッセージ付きのマフィンだけがストラヴィンスキーの手元に残された。
 思い返せば渡された時の、いつもにも増してはにかんだあの笑みには違和感を感じていたのだ。なるほど。今さら納得するが屁のツッパリにもならない。ただ気の抜けたため息だけが漏れる。
 だから人生は不思議なのだ。
 物語なら繋がりそうもない出来事をこうも容易くまとめ上げてしまうのだから、いまさら伏線探しが大変でならない。
 けれどその中をぼくたちは平然と生きてゆくのだとしたら。
 有難いけれどけっこう厄介だな、とストラヴィンスキーは思う。
「早く食べちゃいなさいよ。大事な愛情も冷めるわよ」
 気づけば先に食らいついているハナがアゴで促していた。
「ついでにどんな子か説明すること。後で見に行くから」
 言葉に、かぶりつきかけてストラヴィンスキーはぶっ、と吹き出す。
 時刻はいつしか零時をまわっていた。
 十二月二十九日。
 今年もあとわずか。
 平和はおそらくこれからが本番だ。






お読みいただき有難うございます。



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